会議の本質
赴任してから今まで、学科会議、全体会議等が何回があったのだけれど、
ケニア人の中でする会議はかなりビックリすることが多かった。
まずは会議の内容なのだが、
なんだか抽象論ばかりを言っていて、
話し手が何を言いたいのかよく分からないことが多い。
「もっとパフォーマンスを良くして栄光を手に入れよう」
や
「学生たちにはもっとイノベートをさせないといけない」
なら、まだいい。
中には、
「もっと神に感謝をしましょう。そして、それをもっと感じましょう」
とか、
「悪いエネルギーが溜まっているので、それを吐き出そう」
みたいなことを延々と述べる人もいる。
正直、意味が分からない。
学科会議とか学校全体会議でこういう話をされても、
いったい全体、学科運営、学校運営とどう関わってくるのかが全然見えない。
主題は何なの? と、訝ってしまうことが多くて困惑してしまう。
また、学校で喋る会話は普段は英語と決められているのだが、
ケニア人、興奮するととたんにスワヒリ語になり、
更に怒り気味になると、現地語を使い始めたりする。
英語、スワヒリ語、現地語のトリプルで攻められると、
全くもって何を言っているのだか分からない。
それなのに、たまにいきなりそんな状態で自分に振られたりするわけで、
意見を言ってくれと言われてもものすごく困る。
知るかよ、と毒づきたくもなるが、
もう一度聞き直したり、英語に翻訳してもらって、
なんとか返すように努力は試みる。
有効な意見を返せているかは定かではないけれど。
尚且つ極めつけは、
こんな状態の会議をダラダラと休憩も取らずに、
毎回毎回、3時間以上ぶっ通してやってしまうことだ。
これにはおもいっきり閉口してしまう。
日本で働いていた時も、ただでさえ会議嫌いだったのに、
もう拷問に近い。
自分の集中力は年齢と共に落ちてきているので、
最近では30分でもう既に集中力の限界に達するのであるが、
1時間過ぎた辺りからはほぼ話が全く頭に入ってこなくなる。
こういったわけで、内容がわからないのにやたらと長く、
そのくせ気も抜けないので、終わった時にはもうヘトヘト。
その後は何もやる気がなくなる。
会議というのは短く、そして、テーマを決めて討論し、
チャッチャッと進行するのが本質的には正解だと思うのだが、
ここでは、なにか遥か銀河系の向こうで話し合っているような趣だ。
やはりどこでも、会議は苦手である。
ケニア人の中でする会議はかなりビックリすることが多かった。
まずは会議の内容なのだが、
なんだか抽象論ばかりを言っていて、
話し手が何を言いたいのかよく分からないことが多い。
「もっとパフォーマンスを良くして栄光を手に入れよう」
や
「学生たちにはもっとイノベートをさせないといけない」
なら、まだいい。
中には、
「もっと神に感謝をしましょう。そして、それをもっと感じましょう」
とか、
「悪いエネルギーが溜まっているので、それを吐き出そう」
みたいなことを延々と述べる人もいる。
正直、意味が分からない。
学科会議とか学校全体会議でこういう話をされても、
いったい全体、学科運営、学校運営とどう関わってくるのかが全然見えない。
主題は何なの? と、訝ってしまうことが多くて困惑してしまう。
また、学校で喋る会話は普段は英語と決められているのだが、
ケニア人、興奮するととたんにスワヒリ語になり、
更に怒り気味になると、現地語を使い始めたりする。
英語、スワヒリ語、現地語のトリプルで攻められると、
全くもって何を言っているのだか分からない。
それなのに、たまにいきなりそんな状態で自分に振られたりするわけで、
意見を言ってくれと言われてもものすごく困る。
知るかよ、と毒づきたくもなるが、
もう一度聞き直したり、英語に翻訳してもらって、
なんとか返すように努力は試みる。
有効な意見を返せているかは定かではないけれど。
尚且つ極めつけは、
こんな状態の会議をダラダラと休憩も取らずに、
毎回毎回、3時間以上ぶっ通してやってしまうことだ。
これにはおもいっきり閉口してしまう。
日本で働いていた時も、ただでさえ会議嫌いだったのに、
もう拷問に近い。
自分の集中力は年齢と共に落ちてきているので、
最近では30分でもう既に集中力の限界に達するのであるが、
1時間過ぎた辺りからはほぼ話が全く頭に入ってこなくなる。
こういったわけで、内容がわからないのにやたらと長く、
そのくせ気も抜けないので、終わった時にはもうヘトヘト。
その後は何もやる気がなくなる。
会議というのは短く、そして、テーマを決めて討論し、
チャッチャッと進行するのが本質的には正解だと思うのだが、
ここでは、なにか遥か銀河系の向こうで話し合っているような趣だ。
やはりどこでも、会議は苦手である。
by tanewomaku
| 2011-05-20 17:09
| 海外