ケニア、種を蒔く

普通の生活、普通の人々

東北、北関東で震災があった当初、
ケニアの地元の人に日本で大地震があったと言っても、あまりピンと来ない様子でどうも反応が薄かった。
遠い国の出来事だとなかなかうまく伝わらない事は、どこの国でも一緒なのかな、と当初は思った。
日本人が、中東のジャスミン革命の重要さを理解するのに時間がかかったように、
また極東の島国での地震・津波はケニア人にとっては自分の生活と関わりが無いもの、と。
だがやはり、1週間を過ぎたあたりになると、
テレビ、新聞でも連日震災の事が取り上げられた事もあり、その破壊の凄まじさを分かってか、
急に現地の人からもよく心配、お悔やみの言葉をもらうようになった。
自分の家族のように心配してくださる方が何人もいて、
本当ありがたい思いでいっぱいになった。

そんなケニアは日本から数千キロも離れた土地にある。
ここで暮らしていると、なにか今の自分の立場が歯がゆくてしょうがない。
義援金を送ったりはしたけれど、直接被災された方々に手を差し伸べ助けることはとてもできない。
でもこれは、日本で茨城、福島、宮城、そして岩手に住んでいない方々も、
同じような心境ではないのだろうか。
その被災にあった当地に住んでいない人の中で、
何か手助けをしてあげたいが何もできないと思っていらっしゃる方は、結構な数いると思う。
そんなもどかしい思いをしている私達は何をすればいいのだろうか?

あの震災以来、日本の事を考えると落ち着かなく、こちらでの仕事も落ち着いて取り組めなかった。
こんな事ではいけないと感じながらも、モヤモヤした状態で過ごし、
ああでもない、こうでもないと何かグルーミーな気分で日々を過ごしていた。
そんな状態で2週間が過ぎたあたりだろうか。
ふと、普通の生活を送ればいいじゃないか、という事が頭に浮かんだ。
普通に暮らせる人々は、普通の生活を送ること。
被災者に対して、何か直接的な行動をできるような人で無い限りは、
できるだけいつもの生活を送るべきではないだろうか。
困難な時にこそ、その事がよりいっそう大切な事であると。
助けを必要とする人々を支援する為には、健康な身にある私達がまず一生懸命支えていかなければならない。
その為には、生活に支障をきたす環境でない限り、そこで自分のできることを全うする事。
それが被災地への支援にも当然なるはずだ。
勤め人だったらいつも以上に仕事をこなす、学生だったらもっと真面目に勉強する。
たとえ何があったとしても、日本を動かしていくという事が肝要で、
それが回りまわって、いつかきっと今回のような困難に直面している人の役に立つのであるから。

また、アメリカのある新聞に載ったような、
日本が過剰な自粛に陥っているのではないか」という意見にはまさに私も賛成するところだ。
被災者を苦しめたり迷惑をかけたりする、侮辱するような行動ではない限り、
必要以上の自粛というものは、する必要もないし、逆にするべきでもない。
それは、直接的もしくは間接的にも支えていかなければならない我々が、
精神的にアンターな状態、鬱屈した状態になるわけにはいかないからであり、
支える立場の人間が、きちんと支えられる身でいられることが大切なのである。


先日、JICAの事務所から協力隊員のブログに関して、
当分の間、純粋な「活動報告」や「文化・生活習慣紹介」のような記事の公開は慎むようお達しが来た。
彼等には彼等の言い分があるのだろう。
色々と難しい立場であることも重々承知している。
だがしかし、個人的にはこの趣旨の内容には反対だ。
純粋な「活動報告」や「文化・生活習慣紹介」をする事が、
今の時期適切ではない行動であって、倫理に悖ることなのだろうか?

私は敢えてJICAボランティア事業は仕事と表現している。
我々は仕事で来ているのであって決して遊びではない。
もしお遊びで、おままごとで来ているのだとしたら、多くの隊員はこんなにストレスは溜まらないし、
ましてや、相手の国から来て欲しいと頼まれるなんてあり得ない。
私達、青年海外協力隊員又はシニア・ボランティアは、
活動がしっかりできる環境であればその活動をしっかりと行い、
普段の生活からだと知る由も無い日本の人、世界に住んでいる人々に、
異国、特に途上国ではどのような生活を送っていて、どのような困難があるのか、
またはこんな面白いことをやっている、と発信することも一つの重大な職務である。
卑しい事なんて何一つも無く、それはとても大切な事であると思うのだ。
災厄が日本に降りかかっている事と任地での活動報告、
これはまったく別次元の話であり同列で語られるべき問題ではない。
被災者の方々を冒涜、または混乱させるような記事はもっての外である。
が、純粋な協力隊の活動、また他国での文化・生活習慣自体が日本人の感情を逆なでするものであるのか?
また、そういった事を記述することが、どうして不謹慎であるのか?
否、である。
私には到底そんなふうには思えない。
このような理由から、この趣旨には納得しがたい感情を、私は今、抱いている。
もしそれを不埒な事だと認めてしまうと、
そもそも平時でも、この青年海外協力隊事業の活動自体が不届きなものになってしまうのでないだろうか。

日本にいても、海外にいても、
自分の目の前にあることに対し、そこで自分のできる仕事をたんたんと行うこと。
普通の生活を営める環境であるのなら、それを感謝し、日々の生活を送ること。
その出来事をありのままに伝える事も何ら間違った行為ではないはずである。
日本という国がこれからも、ボランティア事業を胸を張って進めていきたいのであれば、
どうどうと、いかなる時も我々が何をやっているのかを伝えるべきではないのだろうか。


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by tanewomaku | 2011-04-03 08:19 | 日本